市場からの帰り道。
朝の通勤ラッシュによる渋滞が数百メートル先の登っり切った坂の上まで続いている。
駅に向かうバス停には皆気だるそうにサラリーマンやOLが手持無沙汰に携帯電話を片手に列をつくる。
渋滞中の車の流れは酷くゆっくりで、車の横を歩行者が追い抜いていく程。
そんな中にひと組の親子。お母さんは5歳位の女の子の手を引き足早に坂を登っていく。早朝の忙しい時だからだろう。無表情に女の子に先を急がせる。女の子は、自分の顔の高さまで手を挙げお母さんと手を結んでいた。時折り無表情なお母さんの手の甲に自分の頬をくっつけては、顔を上にあげ、お母さんに振り返って貰う度に楽しそうに笑う。
父親である自分が言うのも不甲斐無いが、基本的に子供にとって母親は絶対的な存在で、何をされても特別な存在なのである。
ここ最近子供に対する虐待の記事が大きく紙面割いた。
1人の男の子は数カ月の間食事も満足に与えられず、平均の体重の3分の1の体重までやせ細り息絶えていったようだ。皆、子供頃は運動会でもお遊戯会でも遊んでいる最中でも、母親の姿と探し、見付けると安堵し、褒められる事で大いに満足し幸せを感じていたに違いない。
男の子は弱りながらも、自分がいけない事をしてしまったのだろうと思い、そんな絶対的特別な存在の母親を信じ、いつかは許して貰える、抱きしめてもらえると思っていただろう。
母の日には、思春期の頃何か気恥ずかしく兄弟でじゃんけんをし負けた自分がカーネーションを買いに行った思い出がある。世間の母親と同じようにカーネーションくらいはと。小さいながら何もしないと可哀そうだと思ったものだ。
我子を結果殺めてしまった先の両親も、生まれてきた男の子の誕生を祝い喜んだ時期もあったであろう。
何をきっかけとして今回の酷い行為に至ったかは解らないがけして許される事では無い。
意識の薄れゆく中でもお母さんが大好きだったであろう男の子を思うと胸が苦しくなる。

